2015年4月9日(木)
掃除するとき、ゴミ箱い送りしているはずの、”区民だより”を発見。
それには、デカデカと、”発達障がい”デイケアの宣伝広告がーーーーっ!!
最近、「障害」の文字が、ぜーんぶ「障がい」に置き換わっていますよね。
あわほ、そんな文字を目にする度、猛烈ブチギレ、イライラ度100万%!!!
現実問題、「障害」なんて、オブラートに包んで綺麗に「障がい」ってラッピングされるようなものなんかじゃなく、(特に発達障害なんて)、ただの酷く醜い公害級の”害”。
はっきり言って、また自分がそうだから言えるんだけど、社会不適応かつその脳ミソをもった、発達障害者及び、人の親になって家庭に害悪を垂れ流し続ける発達障害者なんざ、社会の害であり、ただのゴミ。
だから、平仮名の「がい」ではなく、「害」の漢字こそ、我々に似つかわしいのである。(キリッ)!。
我々は我々自身が、社会の「害」であり「ゴミ」であることをちゃんと認識してはじめて、生きづらさや問題点をある程度意識できるようになるのだから。
問題を多々起こしているのに、自分自身を「害」や「ゴミ」だと認識できない発達障害者ほど、始末におえなく有害なものはない。(ウチの両親がその典型)。
そもそも、人の不快感情&嫌悪感をダイレクトに直撃するのは、「自分のことを自分でちゃんと認識できない奴ら」なんだから。
はためには超イタイくてみっともないDQNだと思われているんだけど、そんなこと奴らは全く想像だにしない...。
「誰がどう見てもブスなのに、自分のことをそこそこ美人だと思っているオンナ」
「キモくて臭いウザウザオヤジなのに、俺サマはイケていると勘違いしている、セクハラキモオヤジ」
「アタマが悪いのに、自分はアタマが良いと勘違いしている、障害年金受給者の啓蒙活動系及びモラハラADHD」
そして、発達障害当事者ってのは、だいたい自分の脳ミソや養育環境による情緒障害が、自分にとって強烈な害となり、その害に我々は一生涯悩まされ続けるのだから。
資本主義社会の構造が露骨になり、定型でも勝者と敗者がはっきりしてきた今日このごろ。
そんなチョー厳しい世の中で、「害」や「ゴミ」である自分自身をちゃんと意識することない甘ちゃん状態で、どうやって生きていけるのだろうか。
今日は、区民だよりの「障がい」の文字がぽちっとアタマに来たので、感情をストレートに殴り書きしてみた。
おしまいっ。
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1. 害は害以外の何物でもない
診断が下りて自分のクズっぷりに名前が付くことが直後には大きな救いにはなっても、その熱が冷めてみるとやっぱり害であることには変わりないです。アスペに適性があるという職に就いたって、デメリットの部分に常に足を引っ張られていれば食っていくのでやっとの状態です。現実は甘くないですね。
あー、「がい」だけじゃなく、「碍」ってのもありますよね
確かに、発達障害の診断が下った当初は、大きな救いを感じ、熱が冷めれば、当事者は所詮「害」でしかないという、厳しく嫌な現実に直面しますよね。(同感です)。
発達障害者は自分では食えないあわほのようなダメニートが多数いる中で、お仕事も独り暮らしもされているかいこ様はよくやっている方だと思います。かいこ様ブログのトイレ掃除奮闘記、爆笑でした。これからもお仕事頑張って下さい。その頑張りにダメニートながらいつも励まされております。