「発達障害あわほの日記」では綴らない日常のこまごました出来事を、短い文書で面白可笑しく綴ります。ペットのオカメインコ「のぶりん」視点での記事も書きます。
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正確な年数を数えているワケではないけど、うちの両親が離婚して、はや2年経過。
以後、父親とこのあわほとは、完全音信不通...。
どこに住んでいるのかも、互いに知らない。(+母親にも、自分からは住所を言っていない)。
昨夜寝ようとしてた矢先、突然メール音がして、咄嗟に開くと、父親の名が。
それを見るなり、メガトン級の大拒絶反応が体中にーーーーーーーっ!!!
タイトルは「連絡」で、その後、文章は続く。
要件は3つ。
ーー
①・父姉の夫・(Y)で、父と同じく猛烈気性が荒く、どうしょうもないDQNな人物(ゆえに、父とはすごく仲が良かった)の、死亡報告。
このあわほサマにとって、Yは生きていようが死んでいようが、正直チョーどうでもいい。
ただ、Yとの間には、すごーくヤな思い出が...。
あわほが、まだ中学生だったころ。
毎日×毎日、夫婦間のエキセントリック・キ○ガイじみた大喧嘩が、絶えなかった我が家。
そんな中、うちの母親は、日々しつこくあわほに”ある頼み事”をした。
「Yに電話をアンタからかけて、お父さんの暴力ぶりを訴えて、相談にのってもらって!」と、いうもの。
「自分ですればー。ワタシはまだ子どもだし...。子どもが意見すると、まず大人は聞く耳を持たないからっ!」って、あわほは当然のことを言い返すのだが、
母親は、「お母さんみたいな大人が言うと、逆に角が立つから...。アンタから言って。それにお父さんが説教されたら、たぶん一番言うことを聞きそうな人物だから」と、理解困難かつイミフな言い訳。
あわほは当然ムシ......。
だが、ある日、とうとうしびれを切らした、うちの母親は、いきなりY宅にダイヤル。
近くにいたあわほにいきなり、「いま、Y宅繋がっているから、アンタが事情を話してっ!」と、強制命令。
仕方なく、あわほはYに、「実は...、うちの母親と私はずっと...、父親の家庭内暴力に悩まされておりまして...」と、直球ではあるが、やや遠慮がちにしぶしぶ切り出した。
Yはそれを耳にするなり、「そんな家庭の問題を言われたからって、オジチャンは知らんッ!!」。
何だかもう...、ものスゴーイ勢いで、あわほに向かって、マジギレ激怒!!!
あわほだって、ブチッ!!!
声をやや荒げつつも、父親の日々続く暴力ぶりを、それとなく話すと、
Yは、「”だからオジチャンに、そんなこと言われたって知らん”。と、言っているやろうがーーーッ!!!」
と、さらに感情を荒げ、あわほを猛烈disる。
そばで様子だけ見守っている、うちの母親...。
”感情には、感情を!”ってな、感じで、
あわほはもう一言、Yに何かを言おうとしていた。
母親は、そんなあわほから、受話器をとつぜん奪い、
「まあ...、うちの娘が勝手に思って、勝手に言っていることだから、気にしないで下さいね~~~っ」
と、あろうことかいきなり、こびるようなチョー猫なで声で、Yと話し始めた、うちの母親。
その後も、うちの父親の暴力なんてのは、始めからそもそも存在してないかのような口ぶりで、世間話をし、相変わらずチョー猫なで声で、Yにへいこらとする態度をとり続けた、うちの母親。
電話が終わると、当然ながら文句を口にする、あわほ。
「まあ、Yに電話したけど、アカンかったみたいやなあ。わあーはっはっはっはあ...」と、今度はあわほに向かってチョー猫なで声な、うちの母親。
あわほに対する謝罪も、Yに言ってやったことに対するねぎらいの心も、一切無し。
こっちの神経に虫酸がはしりまくっていることなんか、微塵の想像だにわかない、うちの母親。
3人とも抹殺処刑できるのなら、どんだけ気分がぽちっと!晴れやかになるであろう。
何度そう思ったことであろう、中2の夏...。
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